求む!共同購入者!!!
って言って何のことかピンと来た人、その人は凄いです。っていうか僕がいつもふっかけてるからご存知なのですね。初期費用10万円、年間10万円×10人で、遊びませんか?目標は来年の春購入ってことで。どうでしょう?
一人だとお金結構かかるけれど、何人かで持つ分には軽自動車より安いですからね。しかもきっとみんな使わないから(僕を筆頭に)、多分独占できることでしょう。
気分転換にスキンを変えました。個人的には水上飛行艇にもとても惹かれるのですが、まずは行きましょう。ヨット!
クレジットスコアリングの怪・解・甲斐
金融機関が人なり事業なりにお金を貸し出す場合、個人であれば働いている会社、期間、年収、資産状況、会社であればその会社の財務諸表等をベースにクレジットスコアリングという定型の信用リスク評価を行い、幾らまで貸し付けて良いか、幾らの金利をつけるべきか等を半自動的に算出します。
このお店のスコアを出したらとんでもないことになるのは当然のこととして、事業をやっている人など資金ニーズのある人にとっては痛い試練となる訳です。
比較的有名な経営者の話ですが、創業時に当然お金がなくて、会社を作ったらもちろん銀行もお金を貸してくれる訳もないので苦肉の策としてやった技が、
①銀行から結婚資金のローンを組む
②盛大な結婚式を無茶苦茶安い式場で挙げる
③祝儀で利鞘を生み出す
④結婚資金ローンを返済
⑤残ったお金で創業
まだ働いている間に、最大限のクレジットをつけ、かつ目的が明確なのでお金が出てきやすい資金を借入れ、リスクを取りつつも借入ではなく資本を手にする方法ですね。馬鹿げているようですが、様々な観点からものすごく洗練された手法であり、返済義務のない自己資金へとスワップする素晴らしいやり方だと思います。
心から覚悟が出来ていて、腹から何かをやりたくって物事を推し進めるときって、絶大なるクリエイティビティがどこからともなく湧き出てきて、色々なことを実現してしまうんですよね。
そういうコミットメント、僕大好きです。タイトルが訳分からん。
8月9日火曜日の営業
北風家
今は存続しているかどうかは分かりませんが、江戸後期に今の兵庫県をベースに商業交易で栄えた北風家(ファミリー)という一族がいたそうな。
彼らは商業、交易、海運を支える船乗り達を称え、大切にしたそうな。お風呂を開放したり、大きな居間で船乗りさん達が港に帰ってくると食事を出したり(無償で)して、船乗りたちが各地域の運行状況や気候等の情報交換する場を作り、そして船乗りとして成長するチャンスを提供することで、全国的な海運産業の中で兵庫の発展をもたらした訳です。雨が降ると、その家の前には「北風家」と書いた傘がいっぱい並べられ、住民はそれを勝手に使って、返す人もあれば返さない人もいたそうですが、それも「あり」だった訳です。
一方北風家は集まった船乗りたちから、各地域での農作物の取れ具合、物価、景気、気候といった最先端の情報を集め、それを商いにつなげることでファミリーとしても発展を遂げました。つまり、プラスのスパイラルを生み出した訳です。様々なアービトラージが効く非情報化社会において。しかもアービトラージとは言え、ゼロサムではなくプラスサムで。
そんなファミリーも明治以降の資本主義の到来を受けて、やはり衰退していきました。お金という人が作った(相対的な)指標(絶対的な)が一元化された世の中では、持ちつ持たれつの関係だけでは存続しえなかったのでしょうか。もちろん他にも理由は一杯あると思いますが。
多分、僕がずっと追い求めているのはプラスサムを生み出す一種の北風家なんだと思う。もちろん北風家も万能ではないし、排他することはあったかもしれないけれど。何となくイメージ分かる?どうもいつまでも大人になれなくて・・・。
唐辛子にんにくパスタ
今日はお客さんが全然いなくって暇ヒマだったので、うっかり料理を作ってしまった。って言ってもアスパラとソーセージが入った唐辛子にんにくオイルベースパスタなんだけれど。
ちょっとでも才能感じちゃった。早くお客さんに料理が出せるようになると良いのだけれど。まぁ、お金が取れる代物になるにはまだ大分時間がかかりそうな・・・。
スティーブ・ジョブス
いわずと知れた米Apple社の創業者。金曜日の誕生日会で友人から、大学を出ていないジョブスがスタンフォード大学で卒業記念講演をした際のスピーチ の話を聞いた。
僕自身スピーチをするのは大の苦手。まぁ要するに口下手なのですが、恐らく経験談を分かったように語る人を見るのも苦手だから、きっと自分でもそうは話すまいと思いうまく話せないのだと思う。
ジョブスの言葉 を読んだときも不思議な感覚がした。というのは、僕自身いつも死を意識していて、最大限できること、取れるリスク、割ける時間を目一杯使って生きているつもりだから。きっと多分とってもハングリーでとってもお馬鹿。でも僕にはこういう話はできない。それは経験の差、重みの差、実績の差、筋金入り具合の差、なのかな。
いずれにせよ、「言葉」というものを信じることができない僕には、文章を書くことも読むことも話すこともできないのだけれど。ね、ブログの文章も訳分からないでしょ?僕も何書きたかったのか途中で忘れちゃったぐらいだから。